

ヨーロッパと日本との出会いは、とくに服飾風俗において衝撃的な事件だった。16世紀末、わが国に渡来した南蛮人のスタイルは、西欧服飾史上もっとも奇抜、かつ豪華さをもって知られるルネサンス末期の衣装である。
ポルトガル人によって伝えられた南蛮風俗は、17世紀初めにかけて急速に普及した。素材や呼称、形、装飾から着方にいたるまで異国調が取り入れられた。ジュバン、カッパ、カルサン、ビロード、メリヤス、ボタンなど、今日に残るポルトガル語に由来する言葉のうちの3分の1が衣服関係の言葉であるという。
南蛮ファッションは、奇抜さや豪華さに加えて大変機能的であったため、戦国武将や上流階級はもちろん、一般庶民にまで広く浸透した。カッパやジュバンなどの南蛮服や、舶来の生地で仕立てた衣装に身をつつむことは、最先端をいくファッションだった。
当時の文筆家で南蛮通として知られた向井元升(げんしょう)が、「人には南蛮名をつけてよび、歳月時節の風操も、冠婚葬祭の礼儀も、賓客朋友の交わりも、道徳節儀の心操も、飲食衣服の調いも南蛮様を用いさせ」と述べるほど、南蛮ハイカラ趣味が浸透していたのである。
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解説:ジュバン|カルサン|メリヤス|マント|陣羽織|南蛮キセル|ビロード|更紗
夫人の衣|武士の衣|農民・町人の衣|能装束
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