

桃山時代には、上層階級では下着であり下層では表着であった小袖がひとつになり、性別や階級を問わず広く日本人の日常着として定着した。小袖の普及は、従来からの公家、武士、庶民という階級差による服装の違いを取りさってスタイルの一元化をうながし、小袖を中心とした服飾の体系ができ上がった。
軽快な小袖はまた、長い戦乱の世が終わり、人々が戸外で遊びを楽しむ開放的な時代にふさわしいファッションだった。王朝期の襲着(かさねぎ)とはちがって、一重着である小袖が主体となり表着になる。さまざまな染織技法が考案されて、多くの意匠が凝らされるようになった。とくに辻が花染や縫箔といわれる刺繍と摺箔を中心としたもの、唐織などが用いられ豪華で多彩な小袖がつくられた。
さて、当時の着物のを西洋のファッションと比べると、どのような違いがあるのだろうか。それはごく簡単に言えば、西洋の服飾が服のシルエットを強調し、身体にフィットすることをめざしてきたのに対し、日本の小袖はかぎりなく1枚の布に近いといえようか。直線的な裁断と縫製によって平面的に構成される小袖では、形よりも文様がデザインの重要な役割を果たしている。衣装全体が1枚の画布としてとらえられ、大胆なデザインを施すことが競われた。小袖の文様には、当時の人々の豊かな美的感情がこめられているのである。
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