

麻
古代より人びとは、身近に自生する植物の繊維を衣に利用してきた。その原料は、藤や楮(こうぞ)、葛(くず)、科(しな)、麻などで、これらを衣服に用いることは、近世になって木綿が普及するまで続いた。その中でもとくに麻は、もっとも身近な素材であった。
麻は、山野に自生する丈夫な繊維をもつ植物として、世界中のさまざまな地域で衣服に用いられた。
「禾稲・紵麻を種え、蚕桑緝績(しゅうせき)して、細紵・ケン緜を出す」とは、『魏志』倭人伝に記されている一節であるが、稲や苧麻を種(う)え、養蚕で糸をつくり、細苧(苧麻を織ってつくった布)やケン緜(けんめん。真綿つかい堅く織った絹布)をつくる。つまり、3世紀の中ごろの邪馬台国ではすでに麻布や絹布がつくられていたことを示している。なお同書によれば、当時の人々は布の中央に穴を開けてスッポリかぶる「貫頭衣」という服を着ていた。
また『万葉集』にもしばしば麻の衣服、麻の栽培・収穫について読まれていることから、当時すでに麻の生産が盛んであったことがうかがえる。
ちなみにこの倭人伝に出てくる苧麻(ちょま)は、「からむし」ともよばれ、衣服の原料にもっとも多く使われてきた麻の一種で、日本中の至るところで手に入った。短期間で1〜2mに生長し、伸縮性はないが、強く丈夫な長い繊維がとれる。とくに中国で多く産するので支那麻(チャイナ・グラス)ともよばれる。また、東南アジアにはラミーと呼ばれる苧麻の変種もある。日本では各地で栽培され、農家では自給自足したが、中世に物資の流通と特産化が進むと、東日本や東北・北陸地方でとくに生産に力を入れた。ちなみに上布とよばれるのは苧麻で織られた上等の麻布で、越後上布、薩摩上布、奈良上布、近江上布、八重山上布などが有名である。
衣服に使われた麻にはほかに、亜麻、黄麻、大麻があり、苧麻の次に多く用いられたのは亜麻(あま)であった。これは成長が早く、また60〜90mに成長する麻で、湿潤性が高く、濡れると強度を増す繊維がとれる。主にアメリカ、カナダ、ロシア、北海道など高緯度地帯に繁殖する。
ところで、麻を繊維にし、織物に加工するのは、大きなエネルギーを要するものだった。その工程をかんたんにみてみると、まず、刈り入れた麻を水に浸し、被皮をそぎとった後の透きとおって青みをおびた光沢のある繊維部分(青苧)を取り出す。そして青苧の繊維から糸を積(う)む。つまり、青苧を湯で煮てやわらかくし、さらに一茎を細かく裂き割り、指で撚りつつ繊維をつなぎあわせながら糸状にしていく。その後これを晒すなどして精練をくりかえし、使える糸に完成させ、最後に織りあげていくのである。これらの作業をひと冬続けて織り上げるのに3〜4反程度がやっとであり、民衆は自家用、もしくは年貢用の布を織り出すのに精一杯であった。
後に麻の衣は木綿にとって代わられるが、その要因として伸縮性・保温性の欠如という欠点に加え、木綿に比較して格段に劣る生産効率もその理由のひとつだった。
麻は、民衆にとってもっとも耐久性のある日常着であっただけでなく、通気性がよくしゃりっとした風合いがあるので、上流社会でも男女の帷子(かたびら)といった夏のきものや、武士の直垂(ひたたれ)の一種(である)、薄手の素襖(すおう)などに用いられた。また、狂言装束を代表する肩衣も麻でつくられた。肩衣には、露草、茜、うこん、藍などの草花で染色や描絵がほどこされた。麻は色の吸収性が悪く、繊維自体の色が脱色しても残るので、色付けしても褪せたような色になる。しかしながら、上流社会の衣や狂言肩衣には、それをまた味として生かした逸品も多い。
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