

茶人が陶工を指導して自分の好みのやきものを作らせた例として、紹鴎の信楽、利休の楽、遠州の丹波などが知られるが、織部焼は古田織部が自らプロデュースして作りあげた、桃山時代を代表する陶器のひとつである。
織部は、利休の後を継いで秀吉の茶頭をつとめた大名茶人として著名であるが、慶長初年(1590年代後半)に加藤景延が唐津から導入した連房式登窯を用いて、やきものにとり組んだ。これが、現在土岐市に残る元屋敷窯である。この後、72歳で自決するまでのおよそ30年間、織部十作の陶工を選び、元屋敷窯以外の勝負(菖蒲)窯、窯ヶ根、弥七田窯なども用いて精力的に活動した。
織部焼は、神谷宗湛が驚きをこめて「ヒズミ候也。ヘウゲモノ也」と記したとおり、強烈なデフォルメと不均衡の美を主張した奔放で奇抜なやきものである。雄渾豪放な美を好んだ織部は、師・利休の和敬静寂の美に対し、力感あふれ生気に満ちた斬新な気風を打ち出したのである。
織部焼といえば、一般には器物の一部に緑釉をかけ、白く残った地に鉄絵文様を施した青織部のことをさすが、全面に緑釉をかけ線刻文を施した総織部、漆黒の釉薬をかけ器形に独特のゆがみを加えた黒織部、そのほか鳴海織部や赤織部など多くの種類がある。器種は茶碗、茶入、水指、花生のほか、碗、皿、鉢、向付、徳利などの食器類、香炉、香合、壺、燭台、硯、水滴などあらゆる生活用具におよんでいる。
また織部焼の特徴のひとつに、大胆で斬新なデザインがあるが、南蛮風の絵や幾何学的な文様、また当時流行した辻が花の意匠と共通する図柄も多い。なお、辻が花をはじめとする染織柄の影響は、織部という職名が示すように、自身が接した染織業者や輸入されてきたさまざまな布類を見聞した結果であろうと推定される。闊達な筆致で描かれた文様は、桃山文化の雰囲気に満ちたもので、富裕な人々の生活の道具としておおいに流行したが、江戸初期の元和年間に急速に衰退していった。
関連図版:
総織部平向付|
織部南蛮人燭台|
織部獅子鈕香炉|
織部松皮菱形手鉢|
黒織部茶碗|
織部水注|
織部沓茶碗|
織部扇形蓋物|
織部四方平鉢|
織部州浜形手鉢|
織部黒茶碗|
さわらび 黒織部筒茶碗
解説:
千利休|
古田織部|
小堀遠州|
きれいさび|
孤蓬庵|
破格の茶|
燕庵|
草庵茶室|
待庵|
武野紹鴎|
四畳半茶室|
村田珠光|
佗び数奇|
大徳寺|
不審庵|
千宗旦|
茶禅一味|
北野大茶会|
豊臣秀吉|
黄金の茶室|
茶の湯前史|
東山御物|
唐物|
高麗茶碗|
楽焼|
中興名物|
織田信長|
名物狩り
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