

ろくろを使わず手びねりで成形し、低火度で焼成した陶器をいう。一説に帰化人の阿米夜が永正年間(1504〜20)に開始したと伝えられる。
利休が、茶の湯のためにはじめて初代長次郎を指導して焼いたものがとくに有名で、この「宗易型」楽焼茶碗を基本として、さまざまなヴァリエーションがある。天正年間(1573〜92)の中頃に創始され、秀吉の聚楽第で製陶したことから聚楽焼と呼ばれていたが、2代目の常慶のときに楽の印字を賜り、以後、楽焼と称するようになった。
茶の温かさを保つのに適した土を使って低温度で焼かれるため、飲みやすく掌にふわりとおさまる形であることや、他の茶道具とも調和する落ち着いた釉の色であることなどに加え、静謐感ただよう雰囲気は利休の美意識を鮮明に示し、以後、侘び茶のシンボルとなった。なお楽焼には赤楽、黒楽、白楽の茶碗を中心に、香炉や焙烙(ほうろく)などもある。利休は「黒は古き心なり」として格のある重厚な味を黒に求め、一連の黒楽に好みを発揮したが、秀吉はこれを嫌ったという。黒茶碗を使うことは利休茶における強烈な自己主張であり、いっさいの権威を破るふるまいでもあった。
楽家は千家十職のひとつとして現在(15代)まで続いているが、伝統とは踏襲ではないことを旨とし、3代目道入の頃からは釉の調合や成形を次代に相伝せず、自らこれを修得せねばならないという。なお、利休の孫・宗旦に愛された道入は通称「のんこう」で知られ、古楽の作行きから脱して新風を加え、楽家歴代中の名工とされている。また楽家の本窯に対し、作陶法をある時期に受け継いだ脇窯、各時代に茶人がつくった別窯がある。別窯の代表としては本阿弥光悦がおり、数々の名碗を残している。
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