

本法寺前に再興を許された利休の次男・少庵は、深三畳台目と三畳敷道庵囲の茶室を建てていたが、やがて少庵の跡を継いだ宗旦は、床なしの一畳半の茶室を造立してこれを「不審庵」と名付けた。千家を代表する茶室にもっとも狭い茶室を選んだところに、侘びの極点を追求する宗旦の並々ならぬ決意が示されていたといえる。
正保3年(1646)4月に宗旦は隠居を表明した。そしてこれを継いだ江岑(こうしん)は、父・宗旦と相談して翌年これをたたみ、新しく平三畳台目を起こしたが、以後、不審庵はこれをもって表千家を代表する茶室として現在に至っている。しかしながら、現存する不審庵は明治38年に焼失し、大正2年に再建されたものである。
建物は南面し、柿葺切妻造の前面に庇をつけ、点前座の部分には西流れの片屋根を立てて屋根全体を軽快で変化に富む構成としている。赤松皮付きの中柱、四節の横竹、吹抜けから一重だけ見えるように釣り下げられた二重棚など、宗旦が説いた利休以来の手法が守られている。また不審庵の大きな特徴は、茶道口が点前座の風炉先の方に付けられた構えで、この口をあけるために点前座の勝手口に五寸の板敷きを入れていることであろう。なお、千家露地に共通する侘びた飛び石の美しさは、この不審庵にも遺憾なく発揮されている。
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