侘び数寄



茶道が普及するに従い、富裕な数寄者のほかに超俗的な趣味生活を享受する隠遁者的な茶人が現れ、こうした者を侘び数寄者と呼んだ。『山上宗二記』によれば、「一物も持たず。胸の覚悟一、作分一、手柄一、此の三箇条の調いたるを侘び数寄と云う」と記している。すなわち、なにも持たないから侘び者で、覚悟がきまっており、創意・工夫(作意)をし、功績(手柄)がある者、と規定している。しかしここでいう覚悟とは、心のうちがきれいなことをさす。
このように説明するといかにも難しそうに感じるが、『茶湯者之伝』によると、珠光の弟子善法は酒の澗をする鍋で食事をしたり茶を飲んだので、胸のなかのきれいな者として師からほめられた、とある。ところが、この話は『良恩寺手取釜由緒書』においてはで鍋でなく、なすび型の茶釜に変わって伝わっている。そしてあるとき秀吉がこれを聞き、その行方を捜させたが所在が分からず、利休に命じて善法と同じ茶釜を作らせ、晩年まで愛用したという。なお、当の茶釜は京都市の良恩寺に現在も伝わっている。
いずれにしろ、とくに名のある道具がなくても、茶の精神を理解した者が作法に縛られずにたのしんで茶を点てるというところに、侘び数寄のこころが存在するのである。


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