

孤篷庵は寛永の終わり頃(1643)、大徳寺の龍光院から現在地へ移り、新しい建築や庭が作られた。小堀遠州としては晩年の仕事で、もっとも円熟した作風と評されている。遠州は、つねづね草庵の形で確立された利休の茶室を、書院の形で試みたいと考えていたが、この孤篷庵の「忘筌」においてそれを見事に成し遂げたのである。
忘筌は本堂の西北のひと部屋で、天井の低い12畳の書院である。床と並ぶ一畳が点前座で、もっとも晴れやかな位置を占める。西側の庭に面して、広縁と落縁が設けられている。縁先には障子が立てられてその下を低く吹き抜き、手水鉢や飛石、灯籠などを配し、露地の景色を演出する様子は見事である。なお、忘筌という名は荘子の「筌者所以在魚 得魚而忘筌 得兎而忘蹄」からとられている。「魚を得てしまえば(魚を獲る)籠のことは忘れてもよい。兎を得てしまえば罠のことを忘れてもかまわない」という意味で、悟りの境地をあらわしたものである。
孤篷庵は正確にいえば大徳寺のなかで3回建設されている。初めは慶長17年(1612)で、大徳寺の龍光院に、2回目は寛永20年(1643)現在地に建てられた。しかし、寛政5年(1793)に焼失し、その後、同9年(1799)に本堂が、また同12年(1800)に書院が建設されたのである。小堀家と、茶で名高い松平不昧家の墓所がある。なお、孤篷庵には忘筌のほかに山雲床とよばれる、龍光院の密庵(みったん)写しの茶室および直入軒(じきにゅうけん)と名づけられた茶室がある。
関連図版:
孤篷庵 直入軒次の間 復元図|
孤篷庵 直入軒 復元図
解説:
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