

織部の死後、新たな江戸時代の茶道と美的理念を指導したのは、師のあとを継いで将軍家茶の湯師範となった小堀遠州である。「きれいさび」とは、この遠州の茶法をさして呼ばれるものである。遠州は茶人であるにとどまらず、幕府の作事奉行(建築)および造庭奉行であり、しかも歌道、書道、陶芸などにも秀でたマルチアーティストであった。さらには『小堀遠州書捨文』に「春は霞、夏は青葉がくれの郭公鳥(ほととぎす)、秋はいと淋しさまさる夕べの空、冬は雪の暁、いずれも茶の湯の風情ぞかし」と記すように、平安時代の王朝趣味的資質をうかがわせる深い教養を有していた。事実、彼の名物茶入れや茶杓などにも、古歌にちなんだ銘がつけられていた。しかし、遠州の茶について語った『茶譜』によると、「古田織部ヲ根本ニシテ、宗易時代改捨シ古流ヲ開出シ、吾一流ノ種トス。古道具ヲ集、棚毎ニ餝置、物数寄ト云テ枕ヲ荒、偏ニ唐物高買ヲ見ルゴトシ」とあって、必ずしも好意的な見方をされていないが、その本質を少なからず突いているのは事実であろう。すなわち、織部の茶をもとに、利休(宗易)の古流を取り入れ、それらを総合して流派を立てたということ。しかし、古い道具を飾りたてる物数寄な姿は批判されているからである。
遠州の茶は利休の茶でもなく、また織部の茶そのものでもない、むしろ復古的な台子を中心とした茶であった。しかし、幅広い教養に裏打ちされた王朝的な美の発露がすべての面に反映され、たんに復古的ではない、繊細な新しい美を示した。「さび」という、「侘び」以前の概念は桃山時代というルネサンスを経たのち、「きれいさび」という近世的な美の規範をもたらしたのである。
関連図版リスト:
孤篷庵(直入軒の書院)
解説:
千利休|
古田織部|
小堀遠州|
孤蓬庵|
破格の茶|
燕庵|
草庵茶室|
待庵|
武野紹鴎|
四畳半茶室|
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