

16、17歳のころにはひとかどの茶人となっていた利休は、のちに信長の茶頭を務めたが、信長の没後は秀吉に仕えた。町衆の間に発達した侘び茶の伝統を受け継ぎながら、茶会と点前(てまえ)の形式を完成させ、独創的な茶室と道具を創造した。さらに、若年より親しんだ禅の精神を茶の湯に反映させながら精神性を深め、茶道の型を確立して茶聖と称される。利休は従来の遊興性の強い茶会を排すため、懐石といわれる料理の簡素化をはかるなど、茶会の趣向に侘びの美意識を貫いた。また珠光・紹鴎以来の伝統的な四畳半茶室を改革し、待庵にみられる二畳敷という極小空間を造りあげ、その後の和風住宅に大きな影響を与えた構成と意匠を創造した。また、長次郎を指導して楽焼きの茶碗をつくりだすなど、独創的な試みを行なった。従来の名物中心の茶に対し、新作あるいは無名の道具を自らの審美眼によって積極的に取り上げたのである。北野大茶会をピークとして、利休と秀吉の蜜月時代は急速にフィナーレへと向かい、利休の自刃で幕を下ろした。日本全国を統一し、身分制度の確立を急いだ秀吉であれば、既成の権力に迎合せず、新しい茶の改革を試みた利休のような存在は、しだいにうとましく感じられたに違いない。山上宗二、津田宗及、今井宗久といった茶人たちも、利休自刃の前後に相次いで失脚し、秀吉の周辺から姿を消していったことを思うと、その感はいっそう強まるのである。
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聚楽屋敷復元図1|
聚楽屋敷復元図2|
泪 千利休作茶杓|
千利休画像
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