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織田有楽斎

織田信長には24人の兄弟姉妹がいたというが、系図によって違いがあるものの兄がひとりで、弟が10人いたことはほぼ確実視されている。のちに茶人・有楽斎として名高い長益は、天文16年(1547)生まれで、信長より13歳年下の十男といわれる。 本能寺の変においては、信長の長男・信忠の軍勢にあって二条御所におり、脱出して生き残った。その後、豊臣秀吉につかえたが、関ヶ原の戦では東軍についた。大坂冬の陣では秀頼の補佐をしたものの、夏の陣が起こると京都東山に隠棲し、茶の湯三昧の余生を送った。 晩年、建仁寺の正伝院が荒廃したのを復興して織田家の菩提所と定め、院内に茶室如庵を建てた。如庵は二畳台目、板入りの席で、壁腰に古暦を貼ったので「暦の席」とも呼ばれた。利休門下として秀吉の茶会にもしばしば出席し、古田織部とも親交があった。有楽流の茶道はその次男・織田道八に伝えられ、現在は有楽流七宝会として存続している。

関連図版: 如庵

関連図版リスト: 織田信長 千利休 古田織部
 
解説: 千利休 古田織部 織田信長

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