

同朋衆
室町時代の書院茶を考えるときに欠かせないのが、将軍に近侍して雑務にあたった同朋衆(どうぼうしゅう)の存在である。その元をたどると、鎌倉時代末期から南北朝にかけて武将に同行した時宗の僧(=時衆)、つまり従軍僧に行き着く。従軍のおもな目的は武将の最後にあたってその菩提を弔うためと、負傷したものを治療することであった。鎌倉幕府が楠木正成を千早城に攻めたとき、従う時衆300人という記録がある。こうした従軍僧のなかには、連歌や舞いやそのほか多芸のもち主がいて戦いの合間に彼らの才能が遺憾なく発揮される場面もあった。
同朋衆は、こうした前史を引き継いで室町初期に幕府の職制に次第に組み込まれ、やがて将軍の近くにいて芸事をはじめ、もろもろの雑務を担当するようになった。同朋の名の由来は、「童坊」あるいは宗教的な意味がより強い「同行同朋」からきたものといわれる。また注目すべきは、必ず「阿弥」号を有していることである(阿弥号は時衆の独占物ではないが、同朋衆は必ず阿弥号を持っていた。またその由来は「南無阿弥陀仏」の中2文字をとったといわれる)。毎阿弥、相阿弥、能阿弥、芸阿弥をはじめ、後世に名を残した者は枚挙にいとまがない。同朋衆はいろいろな分野に存在したが、茶に関係した者を「茶同朋」といった。また、本来は室町幕府の職制のひとつであったが、信長の側近として本能寺でともに討ち死にした針阿弥、秀吉の茶事に奉仕した友阿弥といった、武将お抱えの同朋衆もいた。
関連図版リスト:
茶の湯前史
解説:茶の湯前史
関連コラム:
禅と墨蹟|
真行草の茶|
堺の茶系|
三千家の誕生|
茶の湯の変遷|
栄西と茶の伝来|
茶の製法と飲み方|
薬用に用いられた茶|
能阿弥と茶の湯|
栄西と茶の伝来|
東山文化|
金森宗和|
茶道具|
露地|
千家十職|
織田有楽斎
ウィンドウを閉じる