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栄西と茶の伝来

茶の歴史を語るうえでつねにその前史に登場する人物は栄西(「えいさい」あるいは「ようさい」とも。1141年〜1215年)であろう。宋に渡り、日本に茶を移入して『喫茶養生記』を著したことで知られる臨済宗の僧である。栄西は、じつは宋に2回行っているのであるが、茶を伝えたのは2度目のときとされている。ちょうど平家が滅び、頼朝によって鎌倉幕府が誕生した頃のことだ。帰国にさいして、肥前(長崎県)平戸島の葦浦に上陸、この地に茶を植えたという。持ち帰ったのは実ではなく、茶の若木ではないかという説もあり、従来の実を持ち帰ったという説とのあいだに相違がある。しかし以上のようなことから、日本に茶を招来したのは栄西、というのが従来の定説となっている。
だが、栄西の時代より400年前の平安時代、すでに飲茶の風を伝えたのが入唐後に帰国した最澄や空海といった留学僧たちであることを忘れてはならないだろう。なかには唐に滞在すること30年近い僧もおり、その間茶を日常的に飲んでいたことは想像に難くない。実際、帰国した永忠という僧が嵯峨天皇に茶を献じたことが『日本後記』にも記されている。また、当時はとくに唐風文化が高揚した時期でもあり、(日本がつくった)漢詩にもしばしば茶がうたいこまれている。しかし問題なのは、彼ら帰国僧が茶を持ち帰ったか否か、ということであろう。すくなくとも携帯に便利で保存もきく「製品としての茶」を携えてきたことはほぼ間違いないであろうが、実や木に関しては確たる証拠はない。なお、当時の茶は「団茶」といい、今日茶の湯で用いる「抹茶」ではない。後者は、栄西が茶の実(木)とともに日本にもたらしたとされている。
そして、話はまだ続く。なんと、嵯峨天皇が永忠から茶を献じられた2ヶ月後、畿内・播磨などの国々に茶を植えることを命じているのである。それが実なのか、木なのか、またいずれにしろそれらの素材はどこでどうしたのか、一切不明である。もし、自前のものであればすでに日本には自生した茶の木があったことになり、謎は深まるばかりである。それ故、最澄が比叡山のふもと、坂本に唐から持ち帰った茶を植えたとされる「日吉茶園」の話も、あるいはたんなる伝承といえないのかもしれない。


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解説: 茶の湯前史

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