
蘭丸伝説
森蘭丸の名前については、信用できる一次史料には「蘭」ではなく「乱」と書かれたものしか存在しない。また、彼自身の発給文書をはじめ、『信長公記』においてもすべて「乱」で統一されている。また、蘭丸という幼名が通称となっているが、元服してからは「成利」といういみな諱をもっていた。つまり一般に森蘭丸と呼ばれている人物は、「森乱成利」というのが正確な名乗りなのである。
森乱成利は確かに有能な信長の小姓であったが、必ずしも最優等の近習ではなかった。今日われわれがイメージする「美貌と才知をもって信長の寵愛を一身に受けた」蘭丸像というものは、江戸時代から明治時代にかけて形作られたものである。
あるとき信長が障子を閉めるよう命じたが、見にゆくとすでに閉まっていた。蘭丸はそれをいったん開けると、わざと周囲に聞こえるように音を立てて閉めた。部下の前における主君の言葉に間違いがあってはならないということを、才知ある行動で示したエピソードとして特に有名である。そのほか、信長が爪を切っているときにこれを数え、切り屑を捨てるさいに数が合わないと即座に指摘した話、信長が愛刀の鞘の刻みの数を当てた者にこれを与えようとしたとき、すでに数えたことがあるため蘭丸が辞退した話などなど、才知と主君への忠誠心を示す挿話が多い。
こうしたエピソードは、江戸時代の『備前老人物語』や『朝原雑載』、さらに明治時代の『名将言行録』などによってあまねく世間に広まり、さらに尾ひれが付いて庶民の支持するところとなった。そしてさらにまた、さまざまな小説や随筆などで紹介されるにつれて、「蘭丸伝説」として定着していったのである。
人物詳細
森蘭丸
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