
天下布武
信長は1567年(永禄10)の美濃奪取直後から、「天下布武」の印文を彫った印判を使い始める。天下に武をし布く。まさに自身が武をもって天下の権を握ると宣言したこの印判は、はじめ楕円形、ついで馬蹄形、最後に周囲を龍が取り囲むデザインへと変化した。
印判をはじめ、自らの居館を「天主」と称し、元亀から改元させた「天正」という年号など、信長は「天」にこだわった。これらの文言は信長と深くかかわりをもち、多大な影響を及ぼした禅僧・澤彦(たくげん)や策彦(さくげん)の選んだもので、中国から道教とともにもたらされ定着した、「天がこの世を支配するもの(=天子)を地上に遣わす」とする天道思想に基くものであろう。
また書状や印判状でも「天下」という言葉を多用しており、「天下人(てんかびと)」と呼ばれたのは、天下という言葉を前面に押し出して軍事行動を起こしたり、政策を施行したためといわれる。信長に次いで秀吉・家康も天下人と呼ばれたが、両者は信長の打ち出した天下統一事業を引き継いだからである。
天にこだわった信長は、職人など一般庶民が勝手に「天下一」と称することを禁じた。すなわち、技や見事な品などに対して天下一と称することは、信長が認めてはじめて許される許可制にした。
人物詳細
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