信長の好んだもの
 信長は少年時代から父や叔母を始めとして、身辺に芸能を愛好する者が多く、歌舞・能・狂言を好んだ。幼少から仕えた松井友閑からは謡(うたい)を教わり、ことあるごとに得意の「敦盛」を吟じた。また、津島神社の盂蘭盆会で自ら女踊りを披露したり、長男・信忠誕生の際には踊り狂ったりと、「御狂」と称する催し事をたびたび行なった。このことは、岐阜城や安土城に能舞台がしつらえてあった事実からも裏付けられよう。
 また、信長が大の相撲好きであったことはよく知られている。今日、大相撲の最後に行なわれる「弓取り」は、信長が相撲会で優勝者に褒美として弓を与えたことがその始まりとされる。信長は安土城や二条城において、たびたび相撲会を開催し、多くの観戦者を招待した。また、相撲会でよい成績をおさめた力士を家臣として取り立てたり、褒美を与えた。そのため、近江はもとより畿内一円から、力自慢の者たちが安土にやってきた。
 信長は、相撲と並んで競馬も好んだ。暇をみつけては自ら馬に跨って狩猟にでかけた。それは武技の鍛錬ともなった。安土においては馬市に力を注ぎ、駿馬を獲得した。城内には清潔で立派な厩があり、相撲会で家臣に取り立てた者たちを厩番に配し、大事にしている駿馬の養育にあたらせたという。
 さらに特筆すべきは、鷹狩りの趣味であろう。信長は、青年期から弓・鉄砲・兵法の鍛錬と並んでたびたび鷹狩りを行なった。これは、合戦時における機動力の訓練、陣立ての模擬訓練、また領内の地理検分を兼ねるものでもあった。『信長公記』にも「信長は達者候間、度々おさへられ候」とあり、その熟練ぶりが窺える。


人物詳細
織田信長 

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