
楽市・楽座
戦国期から安土桃山時代にかけての、都市・市場に関する政策をいう。
信長は1577年(天正5)、建設中の安土城下に楽市令として知られる十三か条の掟書を出した。これは新城下町の繁栄を図るため、町全体を楽市として座による独占を否定し、諸々の役負担などがすべて免除されることを宣言しており、加えて通行する商人の安土への寄宿の強制、近江の馬売買を安土が独占することなど、かなり思い切った優遇規定が盛り込まれている。
楽市場は、その市で物を売る権利をもつ商人だけではなく、誰でも差別されることなく市に来て、自由に商売ができるという特性(=楽座)をもつ市で、戦国時代、各地に民衆の手によって作られ、社会的に認められた数多くの楽市場が存在した。1567年(永禄10)信長が美濃・加納の円徳寺に与えた楽市令は、新興の安土とは違い、寺内町に既存した楽市場の機能を保証することによって城下町繁栄に寄与したものである。
その条項から本来の楽市場の機能をみると、大名権力などの介入を許さない完全な免税地であったことがわかる。また市場の平和を保つため、あらゆる暴力行為を禁止して、住人の通行安全を保障、通行税も免除されており、さらに来住者は滞納した年貢や負債を帳消しにでき、奴隷ですらその身分から開放されるとある。このように寺社の聖域として、あらゆる世俗的な縁・絆が切れる場として認められていた。
しかし寺内町や門前町に限らず、各地方都市の新設市場においても楽市的性格を持つものが多くあらわれ、自治都市として有名な堺や博多も原点は楽市場であった。このような権力とは無縁の存在であった楽市場が、その機能を楽市令という形で権力に保証され、利用されるということは、すでに本来的な意味での楽市場の消滅を意味しており、楽市令によって現在その存在が知られる楽市場は中世から近世への転換期に表面化した後、支配体制に組み込まれ消滅していった。
人物詳細
織田信長
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