文芸を愛好した土岐氏
 土岐一族はその武力だけでなく、和歌・連歌、漢詩や猿楽、さらには絵画まで、広く文芸をたしなむ武家としても知られている。 美濃の国初代守護・頼貞は和歌に秀で、『玉葉集』『風雅集』『新千載集』などの勅撰集に採られているが、その子頼遠、さらにその子頼康もすぐれた歌人であった。
応仁の乱以前から、守護家として京都に滞在することが多く、茶湯をはじめ京の文化に接し、それを美濃へと伝えた。また、戦乱を避けるため美濃に逗留する公家や旅の絵師も多かったので、そうした影響も大きかったであろう。
 また、8代守護・成頼に革手城を任されていた守護代・斎藤妙春も文化人の保護には熱心で、当時屈指の連歌師であった専順を招き、これにより連歌も盛んとなった。こうした京風文化の受容と同時に、土岐氏が代々保護してきた禅宗の精神が融合して、美濃の地には独自の武家文化が花開いていったのである。  土岐一族は、絵画にもたしなみがあるものが多いが、とくに11代守護・頼芸の描く鷹は「土岐の鷹」として有名である。そのほかに洞文、富景の雅号をもつ画家が知られているが、実名は不明である。
 文芸を愛した土岐氏の文化が、一族の滅亡とともに姿を消してしまったのは惜しまれる。


人物詳細
土岐一族 



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