
四海を圧した江戸城
1590年(天正18)、秀吉の小田原攻めによって北条氏は滅亡したが、このあと家康はそれまで領有していた三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の代わりに、高大な北条氏の旧領に移封を命ぜられた。
家康はまず家臣を関東に派遣し、周到な事前調査を実施。関東平野が穀倉地帯になる将来の可能性や、江戸を拠点とした関東・東国支配の可能性などを見極めたうえで、90年8月1日江戸に入った。その後家康は町づくりを精力的に進める。家康は築城より、江戸を関東の中心とするための城下町の建設、流通経済を促すための道路と河川の開発を優先した。町づくりは、西北は台地、東南は海という地形を利用して、合理的で難攻不落の「の」の字型に開発が進められた。
1603年(慶長8)、家康が征夷大将軍に任命され江戸に徳川幕府を開くと、本格的な城つくりが開始され、家康亡き後も続いて、2代将軍秀忠はみずから先頭にたって工事を指揮、3代家光のときにようやく完成した。家康入府以来、じつに40数年が費やされた。
江戸城は、信長の安土城や秀吉の大坂城に比べるときわめて質素だったが、造りは堅牢で、内観はもとより四海を圧倒するその外観は大変見事で、まさに江戸のシンボルとして機能したと言える。
人物詳細
徳川家康
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