るいす・ふろいす せいぼつねん
1532年〈天文元〉−1597年〈慶長2〉 かたがき
イエズス会宣教師

キャッチフレーズ
信長の厚遇を得てキリスト教の普及に努め、透徹した観察眼で『日本史』を著す
 リスボン生まれのポルトガル人宣教師。イエズス会士。1548年にイエズス会に入会し、同年ゴアの聖パウロ学院に入学。61年ゴアで司祭に叙階され、63年31歳の時に来日した。平戸において日本語や日本の習慣などを学んだ後、65年京都に派遣され、足利義輝の保護もあって66年には同地方の地区長となる。その後、国内の混乱により摂津、河内などを転々とする。  69年に入京していた織田信長と会見し、知遇を得る。異国の物品を好んだ事で知られる信長は伝道にも寛容で、フロイスの京都居住を許可し、布教を大いに進展させた。
 その後、77年から81年までは、豊後地方の地区長を務めながら、日本巡察使・ヴァリニャーノが設けた年報制度にもとづいて、『イエズス会日本年報』の執筆者となり、83年には日本に関する知識と才筆を認められて『日本史』の編纂を命じられた。87年準管区長クエリョに同行し、豊臣秀吉と大坂城で会見した。この年、バテレン追放令がでたために各地を移転し、90年長崎に居を定めた。その後、ヴァリニャーノとともに3年ほどマカオに滞在した後、再び長崎に戻りそこで没した。
 大著『日本史』以外にも、『日欧文化比較』『日本二十六聖人殉教記』、また書簡多数がある。


関連人物
織田信長  足利義輝 

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