

元和年間石見国絵図部分
浜田市教育委員会
ともに江戸時代初期の石見銀山を描いた絵図の部分。右は、左の図の集落部分をさらに拡大したものであるが、見やすくするために横向きにしている。安土桃山時代から江戸初期にかけての慶長年間(1596年から1614年)に最盛期を迎え、関ヶ原の戦の二年後、慶長7年には年間15トンの銀を産出した。『銀山旧記』には人口20万と記されているが、じっさいは2、3万人くらいと推定される。しかし、当時としては1万人でも大都市の部類に入る。
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解説:
灰吹法
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