

鉄砲が伝来した経緯にはいろいろな説があり不明な点も多いが、いずれにしろ1540年代(天文年間)であるのは間違いないと思われる。また、種子島に漂着したポルトガル人からもたらされたものかどうか、最近では諸説あってはっきりしない。しかし、種子島当主である種子島時堯(ときたか)が、200両で二丁の鉄砲を購入したあと一丁を紀州根来にゆずり、一丁を分解してコピーを製造するや、またたく間に伝播していった、ということは確かなようだ。種子島でコピーすることができたのは、もともと島では鉄鉱を産し、精錬所も発達して刀鍛冶がいたことが大きな要因であった。
鉄砲が普及すると、戦国大名はこれを合戦で使用するようになるが、当初、薩摩の島津氏、次いで豊後の大友氏、安芸の毛利氏が用いた。やがて東日本にも波及し、長篠の合戦における織田信長の三段撃ちのエピソードで一躍脚光を浴びると、その後合戦の主力となった。
鉄砲の製造技術は当時の最高機密であったが、火薬の調合がむずかしく、秘伝とされた。また発射に必要な鉛玉や火薬の原料である硝石は輸入品であり、また硫黄も入手しにくかったので、一部の豪商たちが独自のルートで入手し、巨額の利益を独占したのである。
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