

16世紀の半ばになると、大陸から採鉱や精錬の技術が導入されて鉱山の開発が進んだが、開発ブームのきっかけをつくったのは、1526年(大永6)の石見銀山の発見であった。33年(天文2)になると、「灰吹法」という当時のハイテク技術が大陸からもたらされ、やがて日本海沿岸から全国各地の金山、銀山に波及した。
灰吹法とは、1400年に明の陸蓉(りくよう)によって『菽園雑記(しゅくえんざっき)』に記述されているものであるが、以下のような方法で金銀を精錬した。
- 火床に鉛を置き、ふいごで風を送りながら炭火でこれを溶かす。鉛が湯状になったら、濡れた和紙に包んだ鉱石の粉を沈めると、やがて金銀は鉛に取り込まれ、不純物は湯の上に浮き出す。不純物を除去すると「貴鉛(きえん)」という、金銀を含んだ鉛が残る。
- 灰の入った鉄鍋のなかに碗状のくぼみをつけて濡れた藁を敷き、そこに貴鉛を置く。ふいごで火力を徐々にあげると、溶けた貴鉛は灰に吸収されて、やがて鉛だけが蒸発し火床には金銀のみが残る。このうち銀分がすくなければ金塊、金分がすくなければ銀塊として扱われた。
関連図版:
文禄・慶長の役に使用された御公用銀
関連コラム:
神屋寿禎と石見銀山|
東アジア経済と日本銀
解説:
陸上交通|
海上交通|
河川交通|
琵琶湖|
岐阜|
安土|
大坂|
京都|
堺|
博多|
情報|
海外貿易|
鉄砲|
吉利支丹|
南蛮文化|
土木技術
ウィンドウを閉じる