

元が滅亡して明が興ると、足利義満は勘合貿易と呼ばれる日明貿易を開始したが、応仁の乱が終了したあとは、細川氏と大内氏のあいだで争われた。これは同時に、細川氏と結んだ堺の商人と、大内氏と結んだ博多の商人との抗争でもあった。しかし、1523年(大永3)の寧波(ニンポー)の乱の結果、対明貿易は大内氏と博多商人が独占し、大内氏が滅亡するまでつづいた。しかし遣明船が途絶えたあとも、倭寇の密貿易によって中国の物資が日本にもたらされた。
16世紀半ば、ポルトガル人の種子島漂着を契機にして、ポルトガル商船および彼らがチャーターしたジャンク船が来航しはじめた。ポルトガル人はゴア、マカオなどを貿易拠点とし、当時断絶していた日明間の貿易を肩代りし、また両国間の貿易を仲介した。
一方、当時黙認されていた私貿易を統制する目的で朱印船貿易が開始されると、西国大名、京都・大坂・堺・長崎の豪商らが従事し、東南アジア方面で活発に交易した。また台湾、フィリピン、シャム、カンボジアなどには日本人町が形成されるほどであったが、鎖国によって衰退した。
関連図版:
遣明船の模型
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