博多



室町時代より日明貿易の拠点として繁栄した博多は、16世紀中期の大内氏の滅亡後、大友氏の支配下に入り東西に区分され、それぞれに代官を置いた双子都市となった。東分を博多浜、西分を息浜(おきのはま)といい、両者の中央は砂州によって結ばれ、それぞれの寺院群の境内に門前町を形成し、これらが複合して都市空間を構成していた。戦国時代末期には、聖福寺と承天寺の背面に石堂川、博多の南に房州堀が開削され、川、堀、海に囲まれた強固な都市となった。しかし大友氏の筑前支配は安定せず、たびたびの戦火で壊滅的な打撃をうけた。
1587年(天正15)、九州平定を終えた豊臣秀吉はたび重なる戦禍で廃墟と化していた博多の復興を命じ、同時に楽市楽座令を発して博多商人の特権を認めた。太閤町割りと呼ばれた区画整理が急速に進められ、離散していた商人も戻って博多は復興した。代表的豪商、神屋宗湛、島井宗室らも活躍した。しかし秀吉の目的は、博多を朝鮮出兵の兵站基地とすることにあったため、次第に博多の特権は失われ、貿易港としての地位も長崎に奪われていった。


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