

戦国時代、博多とともに遣明船による海外貿易を独占していた堺は、畿内と瀬戸内海を結ぶ港として、また軍事的・政治的な港として急速に発展をとげた。しかし経済的に豊かであったために、東寺、四天王寺、住吉神社の所領、あるいは大内、山名、細川ら守護大名の支配地といったように、つぎつぎと領主の交替をみた。
1465年(寛正6)以降、堺が遣明船の発着港となるにしたがい明、朝鮮、琉球などとの海外貿易で繁栄し、後には南蛮貿易にも従事した。やがて経済的基盤を背景に、豪商たちが自治組織をつくり、町の周囲を濠で囲んだ環濠都市を形成した。しかし、1568年(永禄11)、上洛を果たした織田信長は、突如堺に矢銭(軍資金)2万貫を要求し、会合衆はこれを拒絶したが、三好三人衆が信長にやぶれてこともあって信長に屈し、以後その支配下に置かれた。
1560年代(永禄年間)、堺の発展はその頂点に達し、文化・芸能も盛んとなった。千利休を筆頭に、武野紹鴎、津田宗及、今井宗久らの茶人を輩出し、能楽喜多流開祖・喜多七太夫、流達節の高三流達(たかさぶりゅうたつ)らが活躍した。
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中国図(部分)|
住吉祭礼図屏風(部分)|
堺の古刹南宗寺
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