京都



足利尊氏によって室町幕府が開かれると、京都は再び政治の中心となって都市的発展も進んだが、応仁・文明の乱によって町は焼失し、平安以来の王朝文化も亡んでしまった。しかし内乱で焦土と化した京都に復興の息吹を与えたのは、町衆と呼ばれた商人や町の住人たちであった。道路によって区画された条坊制の町から、道路をはさんで向かい合う「両側町」が生まれたのもこの頃である。また、1500年(明応9)6月7日に復活した祇園祭は、町衆によって熱狂的に迎えられ、復興京都のシンボル的存在となった。
戦国時代になると、公家や武家の邸宅、また西陣織業者の集まる上京(かみぎょう)に対し、商工業者の集住する下京(しもぎょう)という、ふたつの地域性が次第に明確となり、革堂(こうどう)と六角堂がそれぞれの町堂として市民生活の中核となった。また、現世利益を説く法華宗が町衆に支持され、多数の寺院が建立されるとともに、町衆の法華一揆がしばしば一向一揆に対抗した。
一方、「市中の山居」をたのしむ茶の湯をはじめ、さまざまな芸能が盛んになったのもこの頃のことで、都市文化の花がいっせいに開花したのであった。


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