

1583年(天正10)6月、豊臣秀吉(当時は羽柴)は信長の後継者争いで柴田勝家に勝利すると大坂に入り、城の建設準備を開始した。宣教師ルイス・フロイスの記録によると、工事にたずさわった人数は当初2、3万人、年末には5万人を数えたという。工事から一年半後には天守、本丸御殿が完成するという驚異的な速さであった。また、築城と同時に平野の住民を天王寺に強制移住させるなど、城下の都市つくりも平行して進められた。城の南側にあたる玉造(たまつくり)には、細川、前田、鍋島、浅野、蜂須賀らの大名屋敷が建てられた。
86年からは8年の歳月をかけて二の丸、外濠、三の丸の普請を行なった。二の丸の濠は幅72メートル、高さ27メートルにもおよぶ巨大なもので、94年(文禄3)には城下全体を濠で囲み、城門で守る「惣構(そうがまえ)」が完成した。
城の全体は本丸、山里曲輪(くるわ)、二の丸、三の丸の四曲輪からなり、本丸の中央には五層の天守閣があったが、これは武器・食料の倉庫として使用された。一方、本丸御殿には華麗な障壁画が描かれ、訪れる人びとを驚かせた。
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