

岐阜城および家督を長男・信忠に譲った織田信長は、1576年(天正4)正月、琵琶湖東岸に新たな本拠地として安土城の建設を開始した。79年には安土城のシンボルともいうべき七層の天主も完成、81年10月頃には一応の完成を見た。
城は外枡形と呼ぶ複雑な出入り口を備え、幾重にも重ねた石垣の頂上に信長の住居を構え、家臣団の屋敷は山麓の城下に配置された。天主を頂点にした構成は、軍事的機能ばかりでなく、身分の序列を表す空間構成を実現したものであった。
城下町についても、これまでにない都市つくりが行なわれた。清洲や岐阜といった城下では、濠と土塁に囲まれた惣構(そうがまえ)のなかに武士や商工業者が居住し、市街地は惣構の外に形成されていたが、安土の市街地は山麓に一体化して形成された。また、街道が安土の町を通るように設置されて人の往来が活発となり、税金の免除、商売の自由も保障されて急速に発展した。このような、城と城下町が一体化した近世的都市の出現によって城下町は都市機能を吸収し、経済的にも大名が社会の中枢を掌握するという安土型が、以後、都市つくりの主流を占めていった。
関連図版:
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