琵琶湖



近江は畿内と関東や東北、また裏日本や表日本を結ぶ要衝にあり、全国の主要交通路が集中的に集まっていたが、その中心にある琵琶湖はとくに重要であった。京都にのぼり天下統一を号令しようとする戦国武将にとって、近江を掌握することは避けることのできない関門であり、琵琶湖の交通を手中に収めることは必須の条件であったからだ。
当時、日本海側の敦賀に陸揚げされた北陸・東北の物資、また東海方面から中山道を経由して運ばれた物資は、すべて琵琶湖畔に運ばれて湖上を通り、いったん陸揚げされて京都・山科を経由して淀川を下った。琵琶湖は裏日本、表日本の物資を京都・大坂へ運ぶために欠かせない、まさに「天下の回廊」であったのだ。
湖上の水運を支配していたのは中世以来、湖西の堅田衆で、時に海賊まがいのことも行なっていたが、1569年(永禄12)信長が支配下に収めると、回船業の継続を保証した。そのため、71年(元亀2)の朝倉討伐戦には信長に協力した。天正年間、秀吉が京都の玄関口に当たる大津に「大津百艘船」を組織してからは、事実上、秀吉が湖上権を掌握した。


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