

近世になって、河川交通は著しい発達をとげて物資輸送の大動脈となった。量的には海上輸送のほうが大きいとはいえ、港湾にいたるまでは河川の利用が多く、海上輸送の活況が河川交通のさらなる発達をうながした。信長、秀吉による天下統一により、政治経済圏が拡張されるとこの傾向はますます進んだ。
平安時代より交通路として発達していた淀川沿岸の船着き場はひじょうに繁栄したが、なかでも淀は諸国より到来した商品の陸揚場として、交通・商業の中心地となった。また当時活躍した、大山崎の油商人たちも舟運を利用し、いわゆる過書船(かしょぶね)として淀川を上下した。
このほか、淀川に流入する河川では木津川、宇治川、保津川、高瀬川などが舟運で賑わった。保津川(大堰川)は、1606年(慶長11)に角倉了以(すみのくらりょうい)によって開削されたもので、丹波方面からの物資輸送に大きな役割を果たした。また了以が作った高瀬川は、京都市内から伏見にいたる運河であるが、もっとも利用度の高い河川のひとつとなった。
関連図版:
福島宿往還絵図面(部分)|
木曽川通絵図(部分)A|
木曽川通絵図(部分)B
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