

海上交通は陸上輸送と比べるとはるかに効率的なため古代から発達したが、西日本では瀬戸内海を中心に活発であった。戦国時代、大名は兵船や物資の輸送船をつねにある程度確保していなければならなかったが、常時保持するよりも緊急時に造船資材や船大工を調達・徴用できる体制を確立するほうが、はるかに効率的であった。このため、しばしば領国内での竹木伐採の禁止令が出された。また、戦時・平時にかかわらず民間から船舶を徴用することはしばしば行なわれ、しかも舟持には帆役などの課税もあった。船賃についても強い統制があり、業者が自由に運賃を決めることはできなかった。舟方に対しては、逃亡を防止するために船舶や家屋敷の売買を禁止して人員の確保に努めていた。
なお瀬戸内海では、中世以降、海賊による被害が続出したが、秀吉の天下統一以後は減少した。さらに1585年(天正13)には四国遠征が行なわれ、伊予、来島、阿波の海賊を従属させた。88年には海賊禁止令が出され、船頭や漁師から誓詞を取って海賊行為をやめさせた。海賊たちはその後、秀吉に従い、小田原遠征、文禄・慶長の役には大いに活躍した。
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『唐船図巻』より18世紀のシャム船|
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