情報革命



概説

戦国時代がどういう時代であったのかというのはいろいろな見方があって、ただ単に戦争に明け暮れていたという単純なイメージだけでは語りきれません。もちろん生きるか死ぬかといった弱肉強食の時代であり、群雄が割拠して争いが絶えない殺伐たる時代であったことは間違いありませんが、まったく別の視点で眺めてみると、茶の湯、能、歌舞伎踊りなどの芸能が興り、黄金の金碧障壁画が描かれ、小袖に代表される絢爛たるファッションが花開いた文化の時代でもあったのです。また同様に、経済的な面からいえば、通行税を取るのが主目的といってもよい関所の撤廃や、同業組合である座を廃して自由に商売ができる楽座を奨励し、閉鎖経済から開放経済へと転換するなど、活性化の試みがいろいろ行なわれました。さらに大名の居城があるところに城下町が建設され、建築ブームともいうべき現象も起き、関連して土木工事なども多数派生しました。
以上のような考えで戦国時代を見ていくと、いろいろ角度を変えることで当時の多様な世界が自ずと浮かび上がってくるのが分かりますが、ここではさらに一歩踏み込み、戦国時代を「情報革命」という視点から考えようと、いくつかの関連するキーワードを設定しつつ全体を構成してみました。
ひとつは「都市と交通」という大きなくくりで語られるものですが、これらはいわば「情報」があつまるための条件といってよいでしょう。人口が集中し、人びとが頻繁に往来する城下町という「都市」には近隣、遠隔地を問わずにヒト、カネ、モノといった情報が高速に、しかも大量に流入します。そのためには交通網の整備・改修が必須とされるからです。また交通網といっても陸路、河川、海上などさまざまな形態があって、これらは地域によって整備状況や利用頻度も異なっていました。
つぎに「情報」の中身ですが、イエズス会宣教師やポルトガル商人を経由して伝わったヨーロッパからの思想、経済、科学といった知識やテクノロジーなどは、すべて当時の最新情報として読み替えることも可能でしょう。またヨーロッパだけでなく、中国、朝鮮などの東アジア地域からも貿易を通じてさまざまな情報がもたらされ、またたく間に全国に広がっていったのです。こうしたものを「技術と情報」としてふたつ目のくくりとし、両者を総合した全体を「情報革命」と名付けました。

戦国時代は大名が各地に割拠し、それぞれの国の防衛を図るために自国単位で交通政策をとったため、封鎖経済圏ができて自給自足体制が確立しました。このため地方都市が形成され、重臣や商工業者が集中的に移り住んで繁栄すると、都市へ通じる街道や橋が整備され、東日本では伝馬制度が、西日本では舟運が発達し、中世以来の交通網が次第に整備されました。しかし、信長・秀吉によって天下が統一されると、安土や大坂に見られるように城下としての都市は人口、規模ともに巨大化し、それにともなって交通網は一段と整備されて情報の流通は増大していったのです。また天皇や公家が居住する京都も、信長や秀吉の京都改造計画によって政治的な首都としての機能が整えられると、京都に似せた「小京都」を自分の国につくろうと試みる大名も多く現れました。京都とは権力の象徴であり、文化情報の発信センターとして機能する、いわばシンボリックなブランド都市となっていたことが分かります。
このような都市や交通の整備が進む一方で、海外との貿易も加速されていきました。鎌倉末期から中国大陸や朝鮮半島を荒らしてきた倭寇を取り締まるかたわら、勘合貿易と呼ばれる日明貿易が盛んとなり、これに東アジアに進出してきたポルトガル船が参入、南蛮貿易も活発となっていったのです。とくにポルトガル船の来航は、キリスト教という外来の思想と同時に、当時のヨーロッパ文化のエッセンスともいうべき文物を大量にもたらし、わが国に大きなカルチャーショックを与えました。織田信長をはじめ、大名たちもこれらを好意的に迎え入れ、とくに西南九州では貿易による利益を得るために積極的に自国内に港を開き、貿易船の来航を求める大名が多かったようです。こうして平戸、横瀬浦、長崎などの貿易港が繁栄し、さらに堺、博多という自治都市機能を備えた貿易都市も現れたのです。
当時もたらされた文物のうち、鉄砲は代表的なものといってよいでしょうが、短期間のうちにすぐさまコピーがつくられるとあっという間に全国に広がり、戦闘形態を一新するほどの影響力を与えたことはよく知られています。また大陸から導入された「灰吹法」という銀の精錬技術によって、わが国は世界有数の銀の産出国となり、ポルトガルはこの銀を有効に活用して仲介貿易を行ない、東アジア経済の活発化をうながしました。
一方、キリスト教宣教師たちは布教活動の一環として各地にセミナリオと呼ばれる学校や病院を建設して積極的に社会奉仕活動を展開、多くの信者を獲得していきました。また、大名のなかにも改宗してキリシタン大名となるものも多かったのですが、このうち有馬、大友、大村の三人の名代として天正遣欧使節がルネサンス文化真っ盛りのヨーロッパに派遣され、最新の印刷機を持ち帰ったことも画期的なできごとでした。
「戦国時代」ということばから連想される単純明快なイメージとはまったく別に、こうしたさまざまな知識や技術が活発に行き来したのもこの時代の大きな特徴ですが、大航海時代という世界史的な視点から眺めれば、まさに国内国外ともに大きく変貌を遂げようとしていた激動の時代であることが改めて理解されと思います。


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