関連コラム



アルメイダによる外科医療

日本における布教開始の当初から、キリシタン宣教師たちは貧民の救済や医療に力を注いだ。『どちりなきりしたん』という日本人信徒向けの教義書には、飢えたる者に食事を与えること、渇したる者に飲ますること、病人をいたわり見舞うこと、などなどキリスト教の理念に基づいた博愛精神が列記されているが、伝導の一環として社会活動が重視されていたことが分かる。
こうした活動のなかでも、1557年(弘治3)大友宗麟の支配地、豊後府内(大分市)でルイス・デ・アルメイダが開いた病院と育児施設は画期的なものであった。この病院は二棟からなり、ひとつは癩患者用、いまひとつは一般の傷病者用として建設された。アルメイダは自ら最新の外科手術を行ないこれを公開したので、日本人のなかにも修得する者がいた。内科は日本人医師が担当し、漢方を伝授した。病院の名声はたちまちのうちに上がり、遠く関東からも患者が訪れたが、毎日通院する人以外に、100名以上の入院患者がいたという。
なお当初、アルメイダはポルトガルの貿易商人であったが、悟るところがあって外科医の免許を取得し、55年に来日すると翌年イエズス会に入会し、私財5000クルサードを投じて病院を建設したという。しかし、キリスト教の禁止・弾圧が始まると、これらの施設も62年(永禄5)頃には廃止されてしまった。アルメイダの医療事業は短期間であったが、その外科医療は門弟により「南蛮流」として継承された。1619年に山本玄仙が著した『万外集要』は、最古の南蛮医学書として知られている。また、ポルトガル人宣教師で棄教後に沢野忠庵と名乗ったフェレイラは、『南蛮流外科秘伝書』(鎖国後は『阿羅陀外科指南』と改題)を出版、かくしてアルメイダの精神はオランダ医学の名で次世代に伝えられたのである。


関連図版: 西洋医学発祥記念像 育児院と牛乳の記念碑

解説: 南蛮文化

関連コラム: イエズス会の教育活動 キリシタン版の出版 ふたつの遣欧使節 南蛮文化と大航海時代



ウィンドウを閉じる