

イエズス会の教育活動
来日した宣教師の多くはイエズス会に所属し、布教とともに教育活動に力を入れた。同会創設者イグナチウス・デ・ロヨラは教育こそ布教の最良手段と考え、創立の目的にも謳われている。また、教育のなかでも幼児教育を重んじたため、1561年(永禄4)豊後府内(大分市)に初等学校を建設したのを皮切りに、83年(天正11)までに220余りをつくった。
79年(天正7)に来日した巡察師ヴァリアーノは、日本人司祭養成の必要を痛感し、まずキリシタン子弟の教育のため有馬(島原半島)と安土にセミナリヨ(神学校)を、さらに高等教育機関として豊後府内にコレジヨ(学院)を設け、修道者のためのノビシアド(修練院)を臼杵に創設した。セミナリヨは7歳から17歳くらいの少年が学び、6年課程で三段階のカリキュラムが組まれてラテン語、自然科学、日本文学、音楽、絵画および印刷術が教えられた。コレジヨでは司祭養成のための神学と哲学、民族学、宗教学が教授され、のちには天球論、アリストテレスの霊魂論などヨーロッパの科学思想が紹介された。
こうした教育機関は、1587年(天正15)秀吉によるキリシタン禁令によって九州の有馬、天草に、またさらにその後は長崎へ移されたがなお盛大であった。秀吉没後には京都にも復活したが、1639年(寛永16)の鎖国により、活動は完全に抑えられた。
関連図版:
安土のセミナリオ跡|
宣教師による音楽教育
解説:
南蛮文化
関連コラム:
アルメイダによる外科医療|
キリシタン版の出版|
ふたつの遣欧使節|
南蛮文化と大航海時代
ウィンドウを閉じる