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朱印船貿易

1540年代より日本に来航したポルトガル船を契機に南蛮貿易が開始され、後にはスペイン船もこれに参入した。一方、わが国でも朱印船による貿易が16世紀から17世紀前半にかけて行なわれ、アジア諸国との交易が活発となった。
朱印船とは、「異国渡海朱印状」と呼ばれる渡航証明書を持ち、アジア諸国と交易した船をさすが、それまで黙認されていた私貿易を統制するものであった。この制度は、1592年(文禄元)豊臣秀吉によって開始されたといわれるが、近年では徳川家康という説が有力である。
朱印船は04年以降とくに盛んとなり、鎖国が確立する少し前の35年(寛永12)までつづけられた。渡航船数は350から360隻といわれ、年平均約10余隻が派遣された。なお、朱印船貿易に従事したのは西国大名や幕吏、京都・大坂・堺・長崎などの豪商で、日本に滞在していて中国人やヨーロッパ人も含まれる。しかし、江戸幕府は年々制限を強めたため、次第に大名は少なくなり、角倉・茶屋(京都)、末吉(大坂)、末次・荒木(長崎)といった有力商人に限られてきた。
輸出品として銀、銅、鉄、硫黄などの鉱産物、工芸品・各種道具類が扱われ、一方、生糸・織物を中心とした中国商品、鹿皮・鮫皮、象牙、胡椒、水牛の角、鉛、薬などの東南アジア商品が輸入された。当時、世界屈指の産銀国であった日本の商人は、生糸・絹織物などの中国商品の買い付けにその財力をいかんなく発揮し、ポルトガル、イスパニア、オランダ、イギリスなどの商人たちにとっては脅威の的であった。なお、朱印船が頻繁に渡航した安平(台湾)、サンミゲル、ディラオ(ともにルソン)、アユタヤ(シャム)、プノンペン(カンボジア)などには日本人町が形成され、商品の買い付けや売買の拠点となった。


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解説: 海外貿易

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