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堺の町のくらしぶり

庶民の住居である町屋は、戦国時代になると裏の空間を利用し始めた。かつては畑や庭であった裏側に路地が通され、蔵・借家・茶室などが建てられて密集化していった。堺の発掘調査によると、戦火による焼土とそれを整地した土層が幾重にも建物や井戸などを覆っており、度重なる戦乱の様子が垣間見られる。1615年(慶長20)の焼土からは道路に面した表側に店見世(たなみせ)、中之間、台所、座敷を設けた建築跡、裏側には蔵と通り庭などを持つ近世的な町屋が発見されている。また、内部に蔵屋敷を設けた二階建ての瓦葺きの屋敷が発見されているが、これは茶室であることが判明している。内部からは数寄屋建築に使用された大坂赤壁、畳、炭びつ型炉壇などが出土し、多くの茶人を輩出した堺の様子が偲ばれる。
そのほか、生活に密着した都市の施設や遺構も発掘されている。下水の処理に使われた瓦質のU字溝や蓋、埋め込みの連結式土管などがそれである。また、井戸は裏庭に設けられることが多く、堺では湧水が入りやすいように、すかしのある井戸瓦が使用されていた。当時の便所は道に面した母屋の入り口や裏庭に設置されることが多かったが、湊焼きの甕(かめ)を使用した遺構が発見されている。
注目されるのは、内外との交易や産業の様子がわかる出土品であろう。国産陶磁器では備前(壺、徳利)、丹波(すり鉢、壺)、瀬戸・美濃(碗、皿)、織部・志野(皿、鉢)などが発見され、輸入品では朝鮮、中国の染付(碗、皿、香炉)、青磁(香炉、壺)、白磁(皿)、三彩(盤、壺)、赤絵(盤、壺)などが出土した。このなかには、ベトナムやタイなど東南アジア産の陶磁器もある。また金属製品としては、釜や鍋が出土し、天秤、鏡、鎧、建具金具、銭、鉄砲の弾などが発見された。
こうした遺構や遺跡からの発掘により、当時の堺の経済力や産業規模、人びとの豊かなくらしぶりが想像できるのではなかろうか。


関連図版: 堺の町並

解説:

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