

堺の豪商
堺の商人が歴史に登場するのは、15世紀後半、日明貿易で活躍するようになってからである。湯川宣阿・新兵衛、小島三郎左衛門、池永新兵衛、日向屋修理、尾和宗臨などが当時の代表的豪商であった。
日明貿易が開始された頃、大内氏と細川氏が激しく主導権争いを演じていた。1477年(文明9)湯川宣阿・小島三郎左衛門らが請負った三隻の遣明船が堺を出港したが、それ以後、両氏の対立はますます盛んとなり、貿易の許可証ともいうべき勘合符の入手をめぐって幕府、大内、細川三者の間で混乱が生じた。それにつれて大内陣営の博多、細川陣営の堺も対立したが、寧波(ニンポー)の乱によって大内氏が貿易権を独占、以後、博多商人の台頭をみることとなった。
遣明船では遅れをとったものの、16世紀になると堺の繁栄は頂点に達し、博多を凌駕して多くの豪商たちが活躍した。自治都市堺の市政を運営した会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる豪商をはじめ、富裕な納屋貸の商人や貿易商人たちである。なかでも能登屋、臙脂(べに)屋、日比屋了慶、小西宗左衛門、三宅主計(かずえ)、和泉屋道栄らがよく知られる。さらに茶人としても著名な北向道陳(きたむきどうちん)、武野紹鴎、津田宗達・宗及(そうぎゅう)、今井宗久・宗薫なども豪商であった。また、千利休や山上(やまのうえ)宗二もなかばは商人であった。
先に名前のあがった今井宗久は茶の湯を武野紹鴎に学び、その女婿となった商人であるが、信長・秀吉の時代、津田氏と堺の勢力を二分する豪商として勢力を伸ばし、納屋と称した。貿易以外にも、納屋貸し業(倉庫業兼金融業)を営み、そのほか薬種業、鉄砲・火薬製造業と幅広く経営した。1568年(永禄11)信長が上洛すると茶壺「松島」、茶入「紹鴎茄子」を献上して信任を得、また堺に矢銭(軍資金)を要求したさいには仲介工作を行なってこれを阻止した。堺が信長の直轄地となってからは五カ庄の代官に任命され、また茶頭も務めた。
一方、天王寺屋と号した津田宗及と信長との出会いは遅く、73年(天正元)の茶会が最初であった。しかしこれ以後両者は次第に接近し、宗及は信長の茶頭となった。信長没後は秀吉の茶頭を務め、北野大茶会では利休とともに指導的役割を担った。
関連図版:
今井宗久の屋敷跡
解説:
堺
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