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大垣と大垣城

天文年間(1532〜35年)に建設されたといわれる大垣城は、当時、わずかに本丸と二の丸をもつだけの小さな城であったらしい。『新撰美濃志』によれば、1561年(永禄4)斎藤龍興の命を受けて氏家直元が城の土塁を高くし、また堀を深くしたという。その後さらに改修が行なわれ、堅固なものになった。しかし城下町の建設過程や、いつ頃家臣団・町人たちが集住したかなど、まったく不明である。
1585年(天正13)年、城は大地震によって被害を受けたが、96年(慶長元)伊藤祐盛によって天守閣が改修された。また、慶長初年まで内堀しかなかったものが、1613年(慶長18)に城主石川忠総によって外堀がつくられた。さらにこの頃、惣郭の構築と美濃路の開通にともなって大垣宿が設けられ、町の大部分が整備された。
江戸時代になると、寛永年間の「濃州大垣城図」や「享保年間大垣城下図」を見るかぎり、城郭を中心に武士と町人の居住部分が身分によって配置されていたことが分かる。また船町から俵町・竹島町・本町・伝馬町にいたる町並は、道幅が三間から四間あって往還町と呼ばれたが、このことから美濃路の宿駅として機能していたことがわかる。なお、大垣に集散する物資のほとんどは舟運によるもので、船町を中心に運輸業が発達した。


関連図版: 大垣城下図 水路が残る大垣市内

解説: 岐阜

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