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朱印船に使われた船

朱印船とは、「異国渡海朱印状」という渡航証明書を持つ船で、安南(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)、ルソン(フィリピン)など東南アジア諸国との貿易を許可された船をいうが、1604年(慶長9)以後の32年間で356艘を数え、年平均11艘が従事した。船主には西南大名、幕吏、内外の豪商たちがいた。
船舶に関した記録が大変少ないので、はっきりしたことは不明であるが、1600年(慶長5)12月、フィリピン沖でオランダ艦隊に捕らえられた船の絵や、近代地図学の開祖・メルカトールの作成した日本地図(1607年、1620年刊)に描き込まれた日本船を見ると、中国式のジャンクが描かれている。これを裏付けるように、朱印船に雇われて渡航した朝鮮人が、日本船は小さくて大洋を航海できないので、180人乗りのジャンクを買い入れ、中国人の船長を雇って航海したと述べている。
現在、10点ほどの朱印船の絵が残されているが、こうしたものを見ても「日本前(にほんまえ)」、あるいは「朱印前」と呼ばれた朱印船は、みな中国式のジャンクをベースとして、これに西欧のガレオン船の技術を取り入れ、それに日本の伝統的技術を加えた折衷形式の船であることがわかる。これらは中国やシャムなどで購入されたが、一部、日本でも造られた。1617年(元和3)、平戸藩の重臣佐川信利が平戸で建造したのはその一例である。
朱印船の積載量は、小さいもので薩摩の島津氏が福州で購入した12万斤(きん)積(480石、載貨重量72トン)から、因幡の亀井氏がシャムから購入した80万斤(きん)積(3200石、載貨重量480トン)までかなりの差があった。


関連図版: 荒木船と異国渡海朱印状

解説: 海上交通

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