

障壁画は、生活空間を彩る大画面の絵画として9世紀初頭に発生したが、やがて平安朝貴族の邸宅や山荘、寺院に急速に普及した。障壁画のなかで主役の位置を占めるのは襖絵であるが、主として住宅建築とむすびつき、多彩に展開した。また、それ自体で独立したものではなく、あくまでも建築をひきたたせる脇役であるため、画題や様式も建築の規模や構造によって左右された。
なお、障壁画といえば豪華絢爛たる桃山時代の金碧障壁画を思い浮かべるが、それ以前にも唐絵、やまと絵、漢画による3種類の障壁画があり、こうした伝統を背景として桃山時代の障壁画は誕生したのである(コラム参照)。そして安土城というかつてない巨大な城郭の出現を契機として、それまでにない障壁画の時代が誕生した。
障屏画の制作に関しては、狩野永納がその著書『本朝画史』においてさまざまに述べているので、以下、簡単に紹介してみよう。
(1)城郭御殿において多様化した生活空間に、画題や技法を対応させて整合的にとらえる。
(2)私的生活空間では山水を水墨で描き、公式の空間においては人物画を彩色で表わす。
(3)人びとが大勢集まる大広間には花鳥を、廊下など庇(ひさし)の間には走獣などを、濃彩を用いて華やかに表現する。
また、この障壁画と関連し、可動式の屏風や衝立(ついたて)では山水、人物、花鳥いずれの場合も四季をもって構成すべきだと説いている。
こうしてみると、障壁画は空間的な広がりを志向すると同時に、多彩な空間にある種の秩序をあたえる、という役割を担っていることが理解されよう。とくに襖絵は建築と直結するため、間仕切りの効果を最大限に発揮している。
障壁画はたんに室内装飾画として存在するばかりでなく、絵画の機能によって生活空間を分節化し、それぞれの空間に意味を持たせる働きをしているといえよう。
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