

?-1608。永徳の長男光信は、父とともに安土城障壁画制作にたずさわった。右京と称したが、同名の画人と区別するために「古右京」とよばれる。父の没後、22歳にして狩野宗家の後継者となったが、つねに天才といわれた父とくらべられ評価は低かった。しかしながら近年、中世やまと絵を継承した雅趣に富んだ作風が見直されている。
桃山時代の豪快で力強い筆致や構成とはことなる繊細優美な作品が特徴で、円城寺勧学院の障壁画「花木図」や、法然院方丈、高台寺霊屋の障壁画などに同様な傾向を見せている。1592(文六元)年、秀吉の命を受け、肥前名護屋城の座敷絵を描いた。秀吉の没後は豊臣・徳川の両家につかえ、徳川秀忠の屋敷なども手がけた。
解説:障壁画|金碧画|狩野派|狩野元信|狩野永徳|狩野山楽|雲谷等顔|長谷川等伯|海北友松
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