

1533-1615。狩野永徳、長谷川等伯にならぶ桃山時代の代表的画人。浅井長政の重臣海北綱親の第5子として生まれる。早くから禅門に入り、京の東福寺で修行したが、この間絵を狩野派に学んだ。信長の浅井氏攻略によって海北家滅亡後、武門再興を期して還俗した。
1593 年(文禄2)施薬院全宗の茶の湯で秀吉に画才を見いだされたころから、武門の志をすて画事に専念したものと見られ、作品も60歳前後から没年までのものが多い。作風は、桃山的な様式に梁楷(りょうかい)風、牧谿(もっけい)風の要素をくみ合わせて独自の画技を生み出した。また、宋元画に対する造詣が深く、禅僧を描いた水墨画も多い。晩年には妙心寺の「琴棋書画図」「花卉図」など、金地着色屏風の作例も残す。また、宮中や公家に出入りし、桂宮家の「浜松図」屏風なども制作した。
図版:浜松図|網干図
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解説:障壁画|金碧画|狩野派|狩野元信|狩野永徳|狩野光信|狩野山楽|雲谷等顔|長谷川等伯
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