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統一的構図法

桃山時代になって、障壁画が書院造の大広間などに描かれるようになると、それまでにない画面の巨大化という問題が生じてきた。とくに公式儀礼に使用される建築では、将軍の威光を示すにふさわしい、派手で華麗な図様と様式の障壁画が求められるようになってきた。
また、障壁画は建築に対して従属的であるために、画面の大きさや形状はいうまでもなく、その位置にいたるまで建築の規模や構造によって規定される運命にあった。画面の大きさ、形状、位置など、すべてが最初から決定的なものとして与えられているのである。障壁画は、こうしたさまざまな制約を克服しながら、画面の構図を決定しなければならなかった。
また障壁画の画面は、その広大性だけを特色とするのではなく、画面が横に長く連続するという特色をもっている。部屋が広ければ広いほど襖の数も増え、画面は水平方向に展開していく。しかも、たんに横に連続するだけではなく、部屋の四周すべてに描かれる場合は、4つのブロック全部を連続して完結させなければならないため、ひじょうに複雑な構成法が必要とされた。
安土城の金碧障壁画でその名を歴史に残した狩野永徳は、統一的構図法を駆使したことで知られる。これは、巨大な中心的モチーフを軸にすえながら、画面に配置された従属的なモチーフを統一しつつ構成するという方法で、大規模な近景的構図法をさす。この方法は、永徳が創始した英雄主義的構図法の典型ともいうべきもので、桃山絵画の特色をもっとも顕著に示す構図法であり、御物の「唐獅子図」や「檜図」などに、その好例を見ることができる。
この統一的構図法は、同時代の他派の画家たちにも採用された。長谷川等伯の描いた祥雲寺(智積院)「楓図」における楓の幹は60センチにおよび、「桜図」の花弁の直径は5センチと、実物をはるかに凌ぐ巨大な諸形象が展開する室内装飾は、まさに戦乱時代の覇者の精神世界を具現化させるものだったに違いない。ほかにも海北友松の建仁寺「花鳥図」「松に叭々鳥図」、あるいは雲谷等顔の「寒梅群鴉図」などもこの構図法を採っている。このような構図法で表現される雄大さは時代が求めるものであり、またこの時代においてのみ生命力をもつものであったといえよう。


長谷川久蔵「桜図」
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