

洛中洛外図と風俗画
庶民がテーマとなった月次(つきなみ)風俗画が描かれるようになったのは、京都において祇園祭りが再興された1500年(明応9)ごろといわれる。その後、野外行楽図としての「観楓図」や「花下遊楽図」、名所景物図、四季絵、歌舞伎図、また扇屋、弓師、刀鍛冶などの職人を描いた職人尽絵などさまざまな風俗画が登場してくる。こうしたなかで、とりわけ重要な作品といえば、同じ主題で数多く制作された「洛中洛外図」を挙げることができる。なぜならば、ここには先に述べた風俗画の要素がほとんどすべて内蔵されているからである。
「洛中洛外図」というのは、室町後期に成立し、江戸時代まで続いて制作された風俗画の一種で、その名のとおり京都の市内(洛中)と郊外(洛外)の名所旧跡、あるいは四季折々の行事などを一望のもとに描いたものである。
「洛中洛外図」はそれ以前の四季絵、月次絵、名所絵を総合化したものであるが、それらと違う点は「時間」の視点を導入したことであろう。つまりこの図を観察することで、限りなく変転してゆく京都の世相を知ることができるということである。現存する最古の町田家本には、将軍足利義晴の「柳の御所」と管領細川高国の邸が大きく描かれ、ほぼ1520年代後半の景観を示すのに対し、東京国立博物館蔵の模本では、将軍邸は1539年(天文8)に造営された「花の御所」が描かれ、また管領細川晴元邸や細川晴賢邸が見えることから時代が推定される。また、織田信長が上杉謙信に贈呈したとされる狩野永徳筆の上杉家本では、乱世に活躍した武将の邸のほか、管領細川氏綱邸がひときわ豪壮に描かれているのが印象深いが、これは当時の政界における力関係を表しているようでもある。
こうした作品に対して、狩野吉信による「職人尽図屏風」(川越・喜多院蔵)は、25種類の職人たちの仕事ぶりを描きわけて興味深いものがある。洛中洛外図に散見する風俗画とは異なる、生活の細部にまでわたった当時の貴重な記録である。なお、この喜多院本とほぼ同じか、やや時代が下った狩野派、土佐派の「職人尽絵」も数種類存在するが、構成・描写力などの点で、喜多院本が基本作例であると考えられている。
近世初期風俗画のなかには、数多くの祭礼を主題とした作品があるが、狩野内膳の筆による「豊国祭礼図」(京都・豊国神社蔵)は、記念すべき祭礼図である。秀吉没後の七回忌に当たる1604年(慶長9)8月12日から18日にわたって開催された豊国大明神臨時大祭礼のうち、騎馬行列、能と田楽の奉納、豊国踊りの大群舞など、主要な行事のようすを克明に描いたものである。施主である秀頼の命を受けた片桐且元が描かせたものといわれるが、政権交代を暗示させるかのように、翌年、豊国神社に寄進され、また大群衆による踊りも禁止された。風俗画とはいえ、為政者の思惑が芸術表現にも関係してくる好例であろう。
図版:洛中洛外図 舟木本|洛中洛外図 町田本
解説:障壁画|金碧画|狩野派|狩野元信|狩野永徳|狩野光信|狩野山楽|雲谷等顔|長谷川等伯|海北友松
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