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唐絵障壁画

障子といえば、今日では細い木製の桟に和紙を貼った明かり障子のことをさすが、障子のなかでいちばん古い形態は「衝立(ついたて)障子」で、奈良時代の宮廷や貴族の邸宅、あるいは寺院などで使用され、それに絵を描くことも行なわれた。その後も各時代をとおして使用されたが、平安時代から禁裏の清涼殿に置かれるようになった昆明池障子や荒海障子は、衝立障子絵として名高い。平安時代にはまた、今日ではたんに襖とよばれている「襖障子」が考案された。このように、障子には衝立障子と襖障子の2種類があり、どちらも画面として用いられた。
さらにこのほかにも、壁に紙を貼り、その上に絵を描いた「壁貼付絵」というものもあり、もっぱら宗教建築の壁画として用いられてきたが、襖絵と結合して、わが国の室内装飾画として大きな役割を果たした。障壁画というのは、こうした襖絵や障子絵などを含めたものの総称である。
さて、襖絵を中心とする障壁画の発生は平安時代であると述べたが、嵯峨天皇の時代、清涼殿に描かれた山水画は、『経国集』という詩文集に収録された詩によると、渺茫とした山水の景観が精緻な筆使いで描かれていたことがわかり、こうしたことから唐絵であると推定される。唐絵とは、中国・唐の山水や風俗を題材にしたものをさすが、たんにテーマだけでなく、様式や手法も唐風の影響を受けていたものと思われる。唐代の壁画は中国美術史上空前の活況を呈したが、遣唐使の派遣、僧侶の入唐もしばしば行なわれ、唐文化の影響を強く受けていたことを考えれば、わが国への波及は当然のことといえよう。


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解説:障壁画金碧画狩野派狩野元信狩野永徳狩野光信狩野山楽雲谷等顔長谷川等伯海北友松



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