

歴代の物数寄たちが賞翫した茶道具の優品を名物と称し、東山御物を含む利休以前のものを「大名物」、利休・織部時代(1543〜1615)に評価されたものを「名物」、遠州の時代(1579〜1647)に選定されたものを「中興名物」という。永禄12年(1569)、信長は京都上京の富豪たちに、「唐物天下の名物」を信長自身が買いあげる命令を出した。いわゆる「名物狩り」のスタートである。翌年には堺の名物の買いあげ、その後も折りあるごとに天下の名物に執心した。しかも「違背申すべきにあらず」といった強引さで行なわれたため、その蒐集品はぼう大なものとなった。しかしながら、その多くは本能寺の変で焼失した。
当時、名物茶器は富と権力と知識の象徴であり、高価な経済的価値のあるものとして、町衆はもとより武将たちにも重んじられていた。そのため茶器の所有は専制君主の権威のためになくてはならないものであり、逆に名物を奪われることは従属を強いられることを意味したのである。そのため、名物狩りの評判が高まると、戦国大名間の信義の表現として茶器がしばしば献上あるいは下賜され、重要な取引の代償となった。信長は戦功のあった武将に茶器を分け与えたが、それは褒賞であるとともに権威の分与でもあった。
信長遺愛の品を受けつぎ、主君以上に蒐集に力を注いだのが秀吉であるが、天正13年(1591)の大徳寺総見院における大茶会、同15年の北野大茶会などにおいて、蒐集した名器をこれ見よがしに誇示したというエピソードが、こうした事情をつぶさに伝えていよう。
関連図版:
大名物大井戸茶碗
解説:
千利休|
古田織部|
小堀遠州|
きれいさび|
孤蓬庵|
破格の茶|
燕庵|
草庵茶室|
待庵|
武野紹鴎|
四畳半茶室|
村田珠光|
佗び数奇|
大徳寺|
不審庵|
千宗旦|
茶禅一味|
北野大茶会|
豊臣秀吉|
黄金の茶室|
茶の湯前史|
東山御物|
唐物|
高麗茶碗|
楽焼|
織部焼|
中興名物|
織田信長
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