

秀吉は天正6年(1578)頃、信長から許可されて茶の湯をはじめた。その後しばしば茶会を催したが、天正9年、それまでの功績によって信長から八種の名物道具を与えられた感激をのちのちまで忘れず、書状に書き残している。信長の死後、信長の茶頭であった今井宗久・津田宗及・千利休の3名を召し抱え、さらに山上宗二ら5人を加えて「御茶頭八人衆」とした。やがて利休らの意見にしたがって新時代にふさわしい茶室や数寄屋を建て、戦いの余暇にさまざまな趣向を凝らした茶事を開催したのである。
大きな茶会だけを挙げても、天正11(1583)年の大坂城入城記念の大茶会、大坂城内・山里の茶屋開きの茶会、12年の総勢29名に及んだとされる「終日」茶会、13年の大徳寺大茶湯、14年黄金の茶室で有名となった禁裏茶会などなど、枚挙に暇がない。また15年10月には、歴史的な北野大茶会を開催している。
なお、秀吉は利休を処罰した後、かえって茶に専念したようである。隠居所として建てた伏見城の数寄屋や滝の座敷などに利休の好みを忠実に反映し、茶事もしばしば開催している。利休の侘び茶が成立したのは、秀吉に仕えた晩年のおよそ十年間であることを考えると、それも十分納得がいくことではある。
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