

茶が、古来、飲み物として禅の寺院で用いられていたことは知られているが、そこでは礼をもって茶と接していた。とくに元の時代にあっては、礼のうちでももっとも重要な礼(盛礼)とされた。やがて茶が日本に伝わると、こうした茶礼も同時にもたらされ、室町時代になると五山僧の間に次第に定着していった。
わが国茶の湯の開祖、村田珠光が大徳寺の一休宗純に参禅し、印可の証として圜悟(えんご)禅師の墨蹟を与えられて以来、禅と茶の関係が生じた。また、珠光以後もさまざまな茶人が参禅し、この傾向は次第に強くなっていった(コラム「禅と墨蹟」参照)。
利休は堺の集雲庵で南坊宗啓に茶の話を語り、それが『南方録』となって現在に伝えられるが、そのなかで茶の湯の本意は仏の教えにほかならないことを述べている。周知のように、茶の湯の哲学は利休によってきわまったといっても過言ではなかろうが、利休はしきりと大徳寺や堺の南宗寺に参禅し、おおよそ30年の間、禅の奥義を体得せんと務めた。茶道具という「もの」を中心とした茶の歴史とは別に、茶のなかに精神的なものを求め、ひたすら突き進んだ利休の内部では、禅というものはまさに茶と一体化(茶禅一味)していたのであろう。
大徳寺と茶の湯の関係が、さらに堺の豪商茶人たちとも結びつき、伽藍復興にその経済力が大きく寄与したにもかかわらず、堺の茶が成金趣味にならずにすんだのは、たぶんに禅の精神というものがあったればこそといえよう。
関連図版:
一休宗純墨跡 七仏通戒偈
関連コラム:
禅と墨蹟
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