村田珠光



奈良の杢市(もくいち)検校の子として生まれ、11歳のとき称名寺の法林院に入り出家した。若くして茶を好み、当時流行していた闘茶にふけり寺役も怠ったため、追放された。放浪ののち、大徳寺の一休宗純から禅を学んで茶禅一味の境地に至り、侘び茶を完成、わが国の茶祖と称される。珠光は、茶の湯の場所における人間平等、茶会を成立させるために必要な客振り・亭主振りの重要性、酒色の禁止などを説き、それまでの通俗的、遊興的な茶を一新したが、もっとも重要な点は、茶室と茶道具を改良し、まったく新しい創造を試みた点にあるだろう。それまでの書院の広間にかわり、草庵の四畳半こそ真の座敷であるとしたことや、数寄屋飾りの法式の考案、床の掛け物を唐物から名禅の墨蹟を第一としたこと、また茶杓も象牙や銀ではなく竹にするなど、唐様の茶を完全に和風へと改めた。
なお、彼の名言「藁屋に名馬をつなぎたるがよし」とは、侘びたるもの(藁屋)に名馬とい う優品・名品を組み合わせ、思いがけない対比のなかに美を見いだす珠光の茶の神髄を端的に言い表していることばである。


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